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井伏鱒二・「荻窪風土記」からみた関東大震災4・震災避難民

井伏鱒二・「荻窪風土記」からみた関東大震災・・・。
いえね、正直な話、関東大震災の関連する小説はないか捜してたんですよね。
見つかって目からうろこでした。^±^
さて、今日は最終回です。
しつこいですが、緑の太字は文章の引用を示してます。^±^
20110312・荻窪風土記4

朝飯は桐の木畑のなかの光成(光成信男=早稲田大学の先輩の新聞記者)のうちで食べた。光成は一と眠りしてから行けと言うのだが、とても寝る気になれなくてすぐ出発し、野良道につづく踏切のところから線路道に入った。立川へ何時までに行けば間に合うか不明である。とにかく線路づたいに歩いて行った。余震はまだときどき来て、何だか船暈(ふなよい)しているような気持であった。
阿佐ヶ谷駅はホームが崩れて駅舎が潰れていた。荻窪駅では線路の交叉している場所に、大きな深い角井戸があって、そのなかに鉄道の太い枕木が二本も三本も放り込まれていた。何かの呪(まじない)ではないかと思われた。貨物積みのホームがちょっと崩れていたが、大した被害は受けていなかった。ここから駅の南口に出て、人だかりがしているところに近づくと、蕎麦屋の前の広場で茶の接待をして、消防の半纏(はんてん)を着た男と巡査が、数人の避難民に鉄道の情報を知らせていた。(蕎麦屋は南口の稲葉屋さんであったことが後年になってわかった)


今回の地震でも被災者難民と言う言葉があったほど大変ではありましたが、混乱が殆どありませんでしたね。
阿佐ヶ谷駅は関東大震災で倒潰してましたか・・・。x±x
さて、その鉄道の情報とは?
それでは続きを読んでみましょう。^±^ノ

悪くない情報であった。中央線の鉄道は、立川・八王子間の鉄橋が破損していたが、徐行できる程度に修理が完了したという。その先の、小仏峠のトンネルも点検が完了した。鳥沢・塩山(えんざん)間は、笹子トンネルを含め、不通になっている箇所が修理されて徐行できるようになっている。ところが今度の大地震の続きとして、九月二日、越後の柏崎地方に柏崎駅前の倉庫が倒潰(とうかい)するほどの強烈な余震があったので、松本から先の運転は難しいかもわからない。京阪方面、九州方面に行く人は、塩尻で乗換えて名古屋経由で行けばいいという。
(後日になって聞いたが、九月一日の関東の地震と九月二日の柏崎地方の地震は、別の系統に属する地震であった。今度の九月一日の大地震は、東京から北でなく西南に向けて天変地異を起している。駿河湾に大海嘯(だいかいしょう)があったのだ。浮島沼は水位が六尺も高くなって荒れ狂い、三保の松原では何十艘もの船を待ちの中に置き去りにしていくほどの大津波を起した。三浦三崎では、城ヶ島と岬の町の間の海水が二時間あまりも干上がって、三崎の岬陽館の女中が海底の鮑(あわび)を拾って歩いたという。なぜ海が二つに裂けて干上がるのか、理由がわからない)


この場面でも、東日本大震災と共通する点がありますね。
今回の東日本大震災も一日のずれで、長野県北部大地震を呼び込んでましたし、その数日後、伊豆沖の地震もありました。
どうも、プレートが刺戟(しげき)されると、他のプレートも動くこともあるようですかね。
しかし、大津波といっても、今回のはスケールが違いすぎました。
関東大震災より、東日本大震災で起こった三陸の大津波のほうがはるかに大変でした。

私は荻窪駅からまた線路道に入った。西荻窪駅に近づいた頃、右手にあたって茂るにまかせたクヌギ林があるのを目に留めた。クヌギの木は夏の終りになっても新しい芽を出しつづけ、遠めには新緑の森を思わせる。私はその木立のなかに入って行った。クヌギでありながら一と抱えもあるような大きな幹のもの、太い幹に洞(ほら)を穿って(うがって)老大木の貫禄を見せるもの。これほどの堂々たる森が東京のすぐ近くにあるとは知らなかった。
クヌギ林を通りぬけ線路道に引返し、てくてく歩け、てくてく歩けと、私は実際てくてく歩いて行った。立川駅には避難民が乗るのを待っている汽車があった。駅員が乗客に向って、震災で避難する人は乗車券が不要だと言った。


かくして、西荻窪から先は、井伏氏は省略してますが、ここからかなり歩いたと思います。
ぉまぃもてくてく歩けぉな!(゚Д゚)ノx±x…てくだけにか?
最後に井伏氏はこのようにまとめてます。^±^

大震災に遭って(あって)避難民の経験を持ったことのある者は、何十年たっても地震に怯えて(おびえて)いなくてはならないのだろうか。私も今では腰痛のため、ちょっとくらいの地震では腰を上げる程度だが、四、五年前までは、ちょっと揺れても外に飛び出していた。そのために縁先の沓脱石(くつぬぎいし)の上には、すぐ履ける下駄を置いている。その一方、怖いもの見たさで震源地の方角を調べるため、鳶織(とびしょく)に頼んで御影石(みかげいし)の手水鉢(ちょうずばち)を軒先に据えた。その鉢に水をいっぱい張って置く。地震が来たとき飛び出して見ると、水は震源地の方向から波を起し、反対の方角の鉢のふちを水で浸している。小さな地震のときも急いで行ってみると、震災地の方角ぐらいなら見当つけることが出来る。十何年ぐらい前か、秩父の地震のときは、まぐれ当りだが震源地の位置を言い当てることが出来た。そんなことをして何の益になるか。ただ怖いもの見たさの致すところである。

というわけで、いかがだったでしょう。^±^

このコラムを書いたのには、経緯(いきさつ)がありまして、うちの友人が似た思いをしてたのです。
そのとき、友人は千葉市(外)で働いていたのですが、突然地震に。
では、友人からいただいた葉書を記しておきましょう。

友人から、立て続けに3通、葉書が届きました。^±^

1枚目。

3/11(金) きのうの地震・・・
地震発生、1時間半後、会社よりメール。
終了してよしとの事。お荷物そのまんま!鬼です。
(回収できんからお持ち帰りなさい!)
②へつづく!

2枚目。

きのうの地震・・・
② 新検見川、18時出発!幕張本郷にて会社にTEL。おむかえの車出しますとか言っちゃって、できるはずもございません。もしかして、津田沼まで歩けばバスとかで何とかなるんじゃないかと、津田沼へ!(うらへ)

2枚目裏面。

スタートからすでに3時間以上経過。
ここまで来りゃね、と思ったら東京方面のバス0(ゼロ)、まったくございません!
これからどう行ったらいのか道もよくわからんし・・・。千葉っていったいどんだけ不便なんじゃ? なので千葉(地獄)脱出不可能か?(③へつづく)

3枚目。

3/11(金) きのうの地震・・・③
道路、上下線ともメッチャこんでます。
歩きの人、駅でタクシー待ちの人、ハンパねぇっす。なのにたまに来るマイクロバス、立ってる人ほとんどいません。ブロックベイも歩道にくずれて道ふあしでます。24時間営業の店でも行こかとも思ったんすが。国道14号線に乗ることができました。なので帰宅1時すぎ!
しかもお部屋は・・・ふん、ギャ!(よるピク)

トホホはつづくよどこまでも。


以上の通りです。

しかし、それにしても、地震は怖いね~。x±x
しかもしつこいや。x±x
4月・・・、もう震災1ヵ月以上にもなるのに一向におさまらないゎ。+±+
むしろ関東は頻繁だゎ。x±x
1日1回は何かしら揺れてますな。^±^;

(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

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井伏鱒二・「荻窪風土記」からみた関東大震災3・関東大震災直後(後半)

井伏鱒二・「荻窪風土記」からみた関東大震災。今日もメインの箇所です。^±^
相変わらず訥々としたような、要領を得ないような、ぉぃらの解説ですが、どうかお付き合いくださいね。

そして毎度ながら、緑の太字は文章の引用を示してます。^±^
20110312・荻窪風土記3

では、早速続きから。^±^ノ
毒の恐怖もそうですが、実はこの震災で下町は火の海だったのだそうです。空一面に蔓延る(はびこる)恐怖も描写されてますね。

日暮れが近づいて、小島君の細君は両親と一緒に帰って行った。そのときには、もう空いちめんに積乱雲がはびこって、下町方面は火の海になっていた。その間にも余震は絶えないのである。私は子供のとき近所の農家が燃えるのを見ている間じゅうずっと五体が震えつづけるのを感じていた。そのことを小島君と話し合ったりして、二人は一緒に、下町の方の火の海がよく見える三塁側スタンドに移って行った。
積乱雲は日が暮れると下界の火の海の光りを受けて真赤な色に見え、夜明け頃になるとすっかり黒一色に変り、朝日が出ると細かい襞(ひだ)を見せる真白な雲になる。はっきりと赤、黒、白と、変幻自在に三通りの色に替って行った。


ここまでが震災2日目です。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
井伏氏はしれっと下町の家事を描いているが、幼少体験から、内心穏やかでなかっただろうと伺えます。

日が沈むと、昨日と同じように下町の方の火の海が空の積乱雲を真赤に見せ、夜明けになると雲は黒く変色し、太陽が出ると白い雲に見えた。私は三日目も野球場のスタンドで小島君と一緒に夜を明かした。東京の街は三日三晩にわたって火焔地獄(かえんじごく)を展開したのであった。
「あの火の海で、三日間のうちに火柱を高く噴いたのは、日本橋の白木屋が燃えるときと、帝大の大講堂が燃えるときだった」と小島君が言った。コンクリート建の大廈高楼(たいかこうろう)は焔(ほのお)を高く噴きあげる。
四日目には、燃えるものは燃えてしまった。積乱雲は熱気と関聯(かんれん=関連)があるせいか、四日目にも空に出た。地震は月の盈昃(えいしょく=満ち欠け。本来は盈は満ちる、昃は傾くの意)と関聯がるかも知れぬ。私は四日目の夜、下宿のお上さんが出したビール瓶の玄米を搗棒(つきぼう)で搗いて、五日目に味噌汁で不味い(まずい)朝飯を食べた。


そして、鉄道の状況も具に(つぶさに)描かれています。^±^
やはり震災当時は不通でしたが7日たてばだいぶ復旧した模様です。
復旧も急ピッチで作業が進捗(しんちょく)されたんですな。^±^

下戸塚の自警団員に訊く(きく)と、七日になれば中央線の汽車が立川まで来るようになると言った。箱根の山が鉄道路線と一緒に吹きとんで、小田原、国府津(こうづ)、平塚は全面的に壊滅したと言われていた。中央線だけ息を吹き返しそうになったので、立川まで歩いて行けば、そこから先は乗車させてくれると言う。広島行ならば、塩尻経由で名古屋で乗り換えればいい。

高田馬場から立川ですと、歩けない距離ではありません。^±^
といいたいのですが、うちは小手指から武蔵関までいっぺんに歩いたことがありますが、一度にでは厳しいです。
駅の様子、町の様子も書いてますので、ちょっと掻い摘んで(かいついまんで)おきましょう。

中央線の大久保駅まで歩いて行くと、街道に暴動連中の警戒で消防団や自警団が出ているので、大久保から先は線路伝いに歩いて行った。この道は線路道と言われている。誰も私のほかには歩いている者はいあかったときどき余震の来るたびに、線路沿いの電信柱が揺れて不気味だが、見通しのいい一本道だから暴動連中が襲って来れば遠くからでもわかる。
東中野のプラットホームに上ってみると、猫車のような小型車にぼんやり腰をかけている中年男のほかには、人の姿は一人もいなかった。その男に、立川駅まで行けば汽車が来るというのは本当かと訊くと、黙ってこっくりした。「どうも有難う」と言うと、「はい、お静かに」と言った。
中野駅まで行くと、駅のすぐ先の線路がブリッジになって、鉄橋だから這って渡るかどうかしなくては難しいように見えた。相当の高さのガードである。この場所は以前には踏切になっていたが、ちょっと前の道路工事で線路の下に広い道を通したので、踏切がガードに変じたわけだ。高田馬場駅のところのガード、新大久保のガードなども、最近までは路面に続く踏切であった。


で、井伏氏は中野の親切な方の家に泊めてもらったようです。^±^

私は高円寺に出る途中、急に下腹が痛くなったので、道傍(みちばた)に出ていた臨時接待所で牀几(しょうぎ)に腰をかけてお茶を飲んだ。うまいお茶であった。目の前の電信柱に「どなたでも。御自由にお茶を召上って下さい」という貼紙が出て、地べたに並べたニス塗の机の上に、土瓶と湯呑が置いてあった。

さて、明日は「震災避難民」との項目です。^±^
なんてことはない、高円寺から先の話なんですがね。^±^

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井伏鱒二・「荻窪風土記」からみた関東大震災2・関東大震災直後(前半)

井伏鱒二・「荻窪風土記」からみた関東大震災・・・続いてます。

興味深いネタを入手したら発表せずにはいられないのだ。^±^
今回は、いよいよ「荻窪風土記」の関東大震災の巻、その前半です。
例によって、緑の太字は文章の引用を示してます。^±^
20110312・荻窪風土記2

井伏鱒二氏は、関東大震災を目の当たりに(まのあたり)して、このように文章にしております。
一部のサワリの部分の文章を引用してますので、ご興味のある方はぜひとも本を買って読んでくださいね。
とは言うものの、うちが目を瞠る(みはる)ほど興味を持った箇所はここですので、当然詳しく、また、解説もつけて、まめまめしく書いておきます。

話は前後するが、関東大震災のことを書かなくてはならぬ。
大正十二年九月一日。あの日は、夜明け頃に物すごい雨が降り出した。いきなり土砂降りとなったものらしい。私はその音で目をさました。雨脚の太さはステッキほどの太さがあるかというようで、話に聞く南洋で降るスコールというのはこんな太い雨ではないかと思った。
その雨が不意に止んで、朝、日の出の後は空が真青になっていた。後日の読物雑誌などの記録には、この日は空が抜けるほど青く、蒸し暑い朝であったと言ってあるが、それは少し違っている。雨後の朝、夏の清涼な朝といった感じであった。ところが、じりじりと暑くなって、いつの間にか東の空に大きな入道雲が出た。それも今まで私の見たこともないような、繊細な襞(ひだ)を持つ珍しい雲であった。後日の新聞でわかったが、これは積乱雲という雲である。今、「広辞苑」を見ると、この雲は「積雲よりも低く、層雲よりも高くあらわれる雲。上面は隆起した山形をなし、下底は雨雲をなすもの。入道雲、雷雲、驟雨(しゅうう)雲。記号はCb」と言ってある。堂々としていて美しい雲であった。
地震が揺れたのは午前十一時五十八分から三分間。後は余震の連続だが、私が外に飛び出して、階段を駆け降りると同時に私の降りた階段の裾が少し宙に浮き、私の後から降りる者には階段の用をなさなくなった。下戸塚で一番古参の古ぼけた下宿屋だから、二階の屋根が少し前のめりに道路の方に傾いで(かしいで)来たように見えた。コの字型に出来ている二階屋だから、倒壊することだけは免れた。


下戸塚とは、高田馬場ですかね。^±^
ひと昔前の「住居表示」をする前に、戸塚町といってた場所ですね。
どうも早稲田大学周辺のようで、旧戸塚町1丁目あたりでしょうか。
特に興味を惹いたのは時刻。関東大震災も昼の地震だったのですね。それも3分ほど揺れたというのですから、揺れの長い地震でした。
ここが今回の東日本大震災にやけに共通しております。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
ただ、規模は今度の地震は最悪で、関東大震災のマグニチュードが7.9に対し、東日本大震災は9.0でした。
因みに東日本大震災では、東京は、2011年(平成23年)3月11日14時46分から2分以上揺れたそうです。
続きを読みますか?^±^ノ

私たち止宿人は(夏休みの続きだから、私を加えて、四、五人しかいなかったが)誰が言いだしたともなく一団となって早稲田大学の下戸塚球場へ避難した。不断、野球選手の練習を見たり早慶戦を見たり体操したりしていたグラウンドである。(当時、早慶戦はまだ神宮球場で試合をしていなかった)私は三塁側のスタンドに入って行った。そこへ早稲だの文科で同級だった文芸評論家の小島徳弥がやって来て、私たちは並んでスタンドの三塁側寄りに腰をかけた。
「お宅、道だった」と小島徳弥に訊くと、借家普請(しゃくやぶしん)だが平屋のせいか、柱時計が落ちて瓶が砕ける程度の災害で、両親も新婚の細君も異状なく、さっきから一塁側のスタンドに避難しているところだと言った。見れば一塁側のホーム寄りのところに、小島君の細君が白地の着物をきて腰をかけ、その両脇に小島君のお父さんと蝙蝠傘(こうもりがさ)をさしたお母さんがいた。それはホーム寄りの下から何段か上の場所で、いつも早稲田の野球選手練習のとき、野球部長の安部磯雄先生が腰をかけているところであった。安部先生はどんなことがあっても、選手が練習しているときには必ず同じ場所に腰をかけ、初めから終りまで片方の目を閉じたきりで選手たちの練習を見守っていた。


当時、火災が多かったのは木造建築の建物が犇く(ひしめく)要因が強かったのです。
この最初の時点では、薬を地面に零したために早稲田大学応用化学の校舎だけが燃えていたと記されてます。
揺れのための被害では、煉瓦が崩れて足を挫いたりした姿もあったと書かれてます。
さて、興味深い一文はまだ続きます。^±^

スタンドの人数は、時がたつにつれて次第に殖えて来た。余震が揺れつづけ、ときどき思い出したように大きく揺れるので、家のなかに入っている者はそのつど外へ飛び出してゆく。その煩らわしさを略し、まとめて避難するとしたらスタンドにいると都合がいい。
私は夕飯の時間に下宿へ引返したが、地震でびっくりさせられすぎたためか、それとも恐怖のためか食慾がちっともなかった。船に酔ったときのようであった。下宿のお上さんは壁の崩れ落ちた部屋にお膳を出すことも出来ないので、粗壁だけ仕上って新築しかけている離れに夕飯の膳を並べていた。止宿人たちは全員そろっていた。食慾のある人はがつがつ食べ、そうでない人はお茶しか飲まなかった。
お上さんが、米屋が白米を売ってくれないからと言って、玄米を少し入れたビールの空瓶と棒切れを止宿人の数だけ持って来て、みんなお互に自分の食べる分だけこの棒で米を搗いて(ついて)くれと言った。弱り目に祟り目で、出入りの米屋が仕入不能のため玄米しか売ってくれないと言う。


「船酔いのような」とありますが、これは地震酔いというのかもしれませんね。
また、仕入れ不能になるのは今も昔の共通した悩みですね。
ただ、現代の方が感心してます。^±^
それは次の文章でもわかるとおりです。

鳶職人が数人やって来て、半ばのめりかけていた家の梁に丸太の突支棒(つっかいぼう)をして、一つ一つ根元を木の楔(くさび)で留めた。ただこれだけのことで、しっかりした感じが出た。鳶職たちの話では、ある人たちが群をつくって暴動を起し、この地震騒ぎを汐に(しおに)町家の井戸に毒を入れようとしているそうであった。私は容易ならぬことだと思って、カンカン帽を被り野球グラウンドへ急いで行った。小島君は一塁側の席の細君のところにいた。私が井戸のことを言う前に、小島君が先に言った。スタンドに入る人たちも、みんな暴動の噂を知っているようであった。彼らが井戸に毒を入れる家の便所の汲取口には、白いチョークで記号が書いてあるからすぐわかると言う人がいた。その秘密は軍部が発表したと言う人もいた。

この部分を読むと、デマや暴動は如何に恐ろしいものかわかりますよね。
多少のデマはあるにしろ、暴動の少ない現在の日本は素晴らしいと思いますよ。
暴動どころか、被災地に協力している現代の日本は紳士的で、また、災害にパニックにならず、順番さえも乱さない今の東京は、世界に誇れるいい町と思いました。

その当時、早稲田界隈の鶴巻町や榎町などでは、旧式の配水による内井戸を使っている家と共同井戸を使ってるところを見かけたが、下戸塚などの高台では一様に手押しポンプで板の蓋を置いた井戸を使っていた。蓋を取れば井戸の中が丸見えで、毒を入れられたら一溜り(ひとたまり)もない。

さて、明日は後半です。^±^
震災後のことを井伏鱒二氏が書かれてまして、その興味のある一面を。


さて、リアルニュース。^±^

月曜日、秩父の清雲寺にしだれ桜を見に行ってきました。^±^
きれいでしたよ。^±^ノ

後日コラムに書きたいのですが、現在、時間が取れずに往生してます。x±x
おまけに、連日、真夜中にパソコンに向いすぎた疲労が出て、とうとうダウンしてしまいました。
それで仕事にも支障を来たしてしまいました。x±x・・・コノママデハイケナイ
年齢にはかないませんね。今後は無理せずにしたいと思っています。^±^;
当分(今後ずっとかも)、皆様への訪問は週末と休日のみに控えるかもしれません。また、返事も短コメになるかと思います。
申し訳ございませんが、コラムもしばらくは体調と相談したいと思います。+±+
諸事情を斟酌いただければ幸いです。+±+

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井伏鱒二・「荻窪風土記」からみた関東大震災1・荻窪八丁通り

井伏鱒二・「荻窪風土記」からみた関東大震災・・・。
大層なタイトルだな(゚Д゚)ノ
一応、これでも文学部のはしくれですから・・・。^±^
教科書に落書きして、代返ばかり頼んでたくせに・・・。(゚Д゚)ノ
文学部のはしくれもへったくれもなかろうが!(゚Д゚)ノx±x

というわけで、いささか不謹慎ではございますが、今回の東日本大震災と、井伏鱒二氏が書きおろした「荻窪風土記」当時の関東大震災とを比べてみましょうって企画のコラムです。
緑の太字は文章の引用を示してます。^±^
20110312・荻窪風土記1

井伏 鱒二(いぶせ ますじ、1898年(明治31年)2月15日 - 1993年(平成5年)7月10日)は、日本の小説家。広島県安那郡加茂村(現在の福山市加茂町)の生まれ。本名は井伏 滿壽二(いぶし ますじ)。筆名は釣り好きだったことによる・・・。

この荻窪風土記は1982年の、井伏氏晩年に発表された作品ですが、内容はちょうど関東大震災の状況がかかれてあって興味深いです。

まず、プロローグ的に・・・。
その大震災の前の荻窪の街を描いた「荻窪八丁通り」の項から始まってます。

それによりますと・・・。

弥次郎さんの話では、関東大震災前には、品川の岸壁を出る汽船の汽笛が荻窪まで聞えていた。ボオーッ・・・・・・と遠音で聞え、木精(こだま)は抜きで、ボオー・・・・・・ッとまた二つ目が聞えていた。
荻窪から品川の岸壁まで、直線距離にして四里内外である。汽笛の音の伝播を妨げるものは、当時としては武蔵野の名残をとどめるクヌギ林のほか、ケヤキの大木、ヒノキの森、スギの密林ぐらいなものだろう。汽笛の音なら聞えていた筈だ。それが大震災後、ぱったりと聞えなくなったという。


この文に書かれてる通り、本当に聞えてたらしいです。^±^←こいつはいつもボオー・・・・・・ッとしてるが
文章の中でもこう続けて答えてます。

しかし弥次郎さん、物理学的に言って、曇った日や灰色の湿っぽい日は、遠方からの物音が、却ってよく伝わるということだね。関東大震災後、汽笛の音の伝播を阻害したのは何だろう」
この質問に、弥次郎さんが言った。
「いや、品川の汽笛の音は、大震災後、晴雨にかかわらず聞えなくなった。確かにそうだ。府中の大明神様の大太鼓の音も、もとは祭りの日に荻窪まで聞えたもんだ。大震災後、やがてこれも聞えなくなった。この辺の澄んでた空気が、急にそうでなくなったということじゃないのかね」
何はプラス・マイナスの関係で、汽笛の音を消すようになったのだ。


関東大震災があったのが大正12年だったそうです。^±^
背景的に言いますと、井伏氏が早稲田大学文学部仏文科を教授との反りが合わなくて中退し、さらに芸術学校をも中退した直後、同人誌『世紀』に参加し、「幽閉」を発表したあたりですね。
この「幽閉」という作品は、のちに「山椒魚」と改名されました。
井伏鱒二氏の代表作のひとつでもありますね。^±^

ぉぃらもこの作品を茶化したことがありますので、ご参考までに。^±^

「山椒魚」を茶化す。^±^ノ

軽々しく茶化すなぉ!(゚Д゚)ノx±x

まあ、とにかく、井伏氏は東京で止宿しておりました。^±^
止宿も三宿も三軒茶屋もあるか!(゚Д゚)ノx±x…それ、杉並区じゃなくて世田谷区だぉ
そこで大きな大震災に出くわすんですが・・・、続き、聞きたい?^±^ノ
では、明日をお楽しみにね~。^±^ノ
やけにもったいぶるなあ!(゚Д゚)ノx±x

ところで、このプロローグにもうひとつ、ぉぃらが興味深く思えた文が・・・。

「大正初期、朝鮮原のクヌギ林のなかには、どんな草が生えていましたか」と訊く(きく)と、ゆっくり考えながら、ススキ、フキ、シドミ(クサボケ)、オミナエシ(白と黄)、山ユリ、ツリガネ草、チガヤ(ツバナ)、ヤブカンゾウなど生えていたと言った。もしこれが低地のところで、たとえば線路際の光明院の下の田圃のようなところなら、一面のアシとヤブカンゾウ、エドムラサキが生えていたという。

朝鮮原とは井伏氏の家の近くの、清水一丁目(現在の地名)だそうです。^±^
狭山湖を散歩すると、今もこれらの花には出会いますよ。^±^

それと千川用水の溝(どぶ)の話が面白かった~。^±^
昭和11年5月頃の話で、出版社大雅堂佐藤年男氏が徳川夢声氏のお宅の先にある釣具屋に入る途中の出来事だそうです。

溝板(どぶいた)が一枚、跳ね返ったことがわかった。オハグロドブそっくりの溝は、どんなに不潔なものかということが暴露した。
大雅堂佐藤年男は見るも無残で惨憺(さんたん)たることになった。私はそれを詩の形式の文章に綴って、雑誌に出した。

春宵(しゅんしょう)
大雅堂の主人
佐藤年男が溝(どぶ)に落ちた
――僕がうしろを振り向くと
忽焉(こつえん)として彼は消えていた――
やがて佐藤の呻き声がした
どろどろの汚水の溝である
彼は溝から這いあがり
全くひどいですなあ
くさいですなあと泣声を出した
それからしょんぼり立っていたが
ポケットの溝泥を掴み出した
実にくさくて近寄れない
気の毒だとはいうものの
暫時は笑いがとまらなかった

これは溝に填った(はまった)当人の身になって考えなくてはならないのだ。笑ったりするのは不謹慎であった。
私は佐藤の体に水をかけてやる場所を探したが、肉屋、菓子屋、家具屋、瀬戸物屋、雑貨屋、材木屋、薬局、パン屋、ポンプ店などあるだけで、とても泥んこの人間を連れて行けるものではない。息もつけぬほどの悪臭を放っていた。こんなときには、ちっとも騒がず静かに考えなくてはならぬ。大雅堂に言わせると「とにかく、バケツの水をかけてくれるところに行こう」ということで、大踏切を渡って南口に新しく出来たレストランに行った。その店の給仕女が、大雅堂をパンツ一つにさせて、バケツの水で体を流してくれた。それでも溝泥の臭みが手足にしみこんで、翌日までもくさかったと本人が言っていた。


つうか、他人の不幸を詩に綴るのは不謹慎だってば。^±^←こいつも言うことがくさいですなあ(泣声)
てか、「砂糖と塩」って・・・^±^←他人の名前で突っ込むこいつのほうが不謹慎
そっちかよ!(゚Д゚)ノx±x
「佐藤年男」だってば!(゚Д゚)ノx±x

他にも四面道の話なども載ってますので、興味がある方は是非、この作品を読んでみてはいかがでしょうか?

そういうわけで、明日に続く・・・。^±^

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城崎にてをいじり倒す2

引き続き「城崎にて」をいじりまする~。^±^

前回は、川で矢・・・、いや、串に刺さった鼠ハケーン(゚∀゚)ノ!☆

さてどーなる?

鼠は石垣へ這い上がろうとする。子供が二三人、四十位の車夫が一人、それへ石を投げる。
車夫! いい大人が~。^±^ノ
車夫! なんかやなことがあったのか?^±^ノ
車夫! 鼠に石をぶつけてないで働けぉ!^±^ノ

なかなか当たらない。
車夫! 四十面(づら)さげてるくせにヘタッピ!^±^ノ
子供に混じってやるだけで充分おマヌケだっちゅーのに。^±^

カチッカチッと石垣に当たって跳ね返った。
誰か助けてやれよ~かわうそすぎるってば!x±x
それをいうならかわいそすぎるでしょ?
「かわうそ」じゃね~って。鼠だってば。

見物人は大声で笑った。
見物人も、助けてやれよな~。
それにしてもこの界隈、ヒマジンが多すぎだってーの!

鼠は石垣の間にようやく前足をかけた。しかし這い入ろうとすると魚串がすぐにつかえた。そして又水へ落ちる。鼠はどうかして助かろうとしている。顔の表情は人間に分らなかったが動作の表情に、それが一生懸命であることがよくわかった。鼠はどこかへ逃げ込むことが出来れば助かると思っているように、長い串を刺されたまま、又川の真中のほうへ泳ぎ出た。子供や車夫はますます面白がって石を投げた。
いい加減にしろよ~。車夫! しまいには「動物保護違反」で逮捕されるぞ!`±´
ぉぃらとしたら、この車夫が警察に連行されるのを見物キボーン!
(゚∀゚)ノ!ヤンヤヤンヤ☆

脇の洗い場の前で餌を漁(あさ)っていた二三羽の家鴨(あひる)が石が飛んでくるのでビックリし、首を伸ばしてきょろきょろとした。スポッ、スポッと石が水へ投げ込まれた。家鴨は頓狂(とんきょう)な顔をして首を伸ばしたまま、鳴きながら、せわしく足を動かして上流の方へ泳いで行った。
家鴨はもともと頓狂な顔だってば!^±^
♪アヒルンルン、アヒルンルン、車夫たちは、一生、刑務所 アヒルンルンルン
ヒマジン車夫にこの唄クレテヤルワ! ^±^ノ

自分は鼠の最期を見る気はしなかった。鼠が殺されまいと、死ぬに極まった運命を担(にな)いながら、全力を尽くして逃げ回っている様子が妙に頭についた。自分は淋しいいやな気持ちになった。
鼠の最期を見るとか、とやかく言う前に、助けてやれよ~、自分~~~。×±×

あれが本当だと思った。自分が願っている静かさの前に、ああいう苦しみのある事は恐ろしい事だ。死後の静寂に親しみを持つにしろ、死に到達するまでのああいう動騒(どうそう)は恐ろしいと思った。自殺を知らない動物はいよいよ死に切るまではあの努力を続けなければならない。今時分にあの鼠のような事が起こったら自分はどうするだろう。自分はやはり鼠と同じような努力をしまいか。
いや、まず、とりあえず、串を抜く!^±^
それから矢庭(やにわ)にその串を四十づらさげた車夫に投げつける!^±^ノ

自分は出来るだけの事をしようとした。自分は自身で病院を決めた。
やっと気づいたか~^±^ノ
鼠は、己自身よ!・・・フォ~、フォッフォッフォッフォッ!^±^ノ

この後、このご隠居、イモリをハケーン(゚∀゚)!
「トカゲは多少好きだ。ヤモリは虫の中でももっとも嫌いだ。イモリは好きでも嫌いでもない」
などとわけのわかんないことをほざく。おまけに、
「もし自分がイモリだったら・・・」
なぞと、いらぬ空想癖に走る始末。

・・・このご隠居、何だかアブネーゾ!^±^ノ
ヤモリはムシじゃないってば!
カメさんと同じ、爬虫類だってば。^±^ノ
ちなみにイモリは両生類、トカゲは爬虫類っす。
「ゾウさんが好きです。でもキリンさんはもっと好きです!」ってか?
トカゲとイモリとヤモリ、どんな基準でそんなに好き嫌いが分かれるんだよ!^±^y

そんな好きでも嫌いでもないイモリを、このご隠居が石を投げて誤って殺しちまった・・・。
・・・ってか、このご隠居が一番悪いじゃん!^±^
鼠の件では知らん振りをする、挙句の果てに石をぶつけてイモリを殺す・・・。
当然実刑は免れん。しかも計画性があって過失致死はミトメラレンナ~^±^ノ

ラストシーン・・・

三週間いて、自分はここを去った。それから、もう三年以上になる。自分は脊椎(せきつい)カリエスになるだけは助かった。
・・・最初に、「我慢できたら五週間位居たいものだ」って言ってたくせに。^±^
ガマンデキナイ性分ナノネ~^±^ノ

・・・オシャマイ!^±^ノ

テーマ : 文学
ジャンル : 小説・文学

城崎にてをいじり倒す1

城崎にてをいじり倒す1

さて今日は志賀直哉作、「城崎にて」。

これをいじりまくるのだ~^±^

例によって、青太字は原文でつ。

山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした。
チョイマチンコフ!^±^ノ
ヲイヲイ、いきなりかよ! 都電に跳ね飛ばされるのとはわけが違うっす。^±^
相手は鉄で出来てるから痛いってば!^±^ノ

その後養生に、一人で但馬(たじま)の城崎温泉へ出かけた。
背中の傷が脊椎(せきつい)カリエスになれば致命傷になりかねないが、そんなことはあるまいと、医者にいわれた。

カリエスって、卵のカラを頭にのっけてる黒いヒヨコ?
それはカリメロだっちゅーの!^±^

二三年で出なければ後は心配要らない。とにかく要心は肝心だからといわれて、それで来た。三週間以上―我慢できたら五週間位居たいものだと考えて来た。
城崎に三週間~? い~な~。

頭は未だなんだかはっきりしない。物忘れが烈しくなった。しかし気分は近年になく静まって、落ち着いたいい気持ちがしていた。稲の穫(と)り入れの始まる頃で、気候もよかったのだ。
物忘れは年のせいでしょうってば。^±^
花粉の飛ぶ季節でもないし、ソリャヨゴザンシタネー^±^

・・・この間のあらすじですが、話し相手もいないので、散歩してヤマメを眺めたり蟹を見つけたり、ご隠居の爺さんみたいなことをやって時をつぶす。
ある朝、一匹の蜂が、玄関の屋根で死んでいた。ほかの蜂が一向に冷淡で誰もその存在を認めない。その光景を三日も見て、挙句に淋しさを隠し切れなかったという。

・・・ってか、三日も蜂の死骸を見てるなよ~^±^
まさにご隠居そのものだよ!^±^ノ

蜂の死骸が流され、自分の眼界(がんかい)から消えて間もない時だった。
蜂の死骸が流されるまで見てたのか? どんな愛着だよ!
まさにご隠居! ずっと蜂にこだわってたのかよ!^±^

ある午前、自分は円山(まるやま)川、それからそれの流れ出る日本海などの見える東山公園へ行くつもりで宿を出た。「一の湯」の前から小川は往来の真中を緩やかに流れ、円山川へ入る。あるところまで来ると橋だの岸だのに人が立って何か川の中の物を見ながら騒いでいた。それは大きな鼠を川に投げこんだのを見ているのだ。
助けてやれよ~~~~~`±´
どーせご隠居で暇なんでしょ?^±^ノ

鼠は一生懸命に泳いで逃げようとする。鼠には首のところに七寸ばかりの魚串が差し通してあった。
「ヤガモ」かぁ~(゚∀゚)ノ!☆
鼠だから「ヤネズミ」だす。^±^

頭の上に三寸ほど、喉の下に三寸ほどそれが出ている。
残酷なことするなよな~`±´

  *

ヤガモ、いや、ヤネズミ・・・ハケーン(゚∀゚)ノ!☆
♪ヤガモったら、ヤガモ~φ^±^ノ
・・・さてさて、この先どーなることやら。
次号に続く。

マタミテネ~^±^ノ

テーマ : 文学
ジャンル : 小説・文学

伊豆の踊り子いじり

「伊豆の踊り子いじり」  文学いじり

この川端康成の「伊豆の踊り子」のいじりは難しいっす。

どこに手をつけたらいいのか、いまひとつ思案せねばならないっす。

ほんでもって、結局冒頭部分かよ!^±^ノ

道が九十九折(つづらおり)になって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚(あまあし)が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた。
季節が秋でよかったすね~。
これが春だったら、杉の花粉が飛んで苦しいってば!^±^ノ

私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白(こんがすり)の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。
勉強しに来たんじゃねぇんだから、根本的に学生カバンはいらんだろ~^±^ノ
高等学校の制帽モナー(゚∀゚)ノ!☆

一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。
四日も旅に出てるんならそれなりの服装で来いってば。応援団じゃないんだから。^±^ノ

修善寺温泉に一夜泊まり、湯ヶ島温泉に二夜泊まり、そして朴葉(ほおば)の高下駄で天城を登って来たのであった。
高下駄かぃ! キャラバンシューズはけってば!^±^ノ
ニッカボッカのズボンモナー(゚∀゚)ノ!☆

重なり合った山々や原生林や深い渓谷の秋に見とれながらも、私は一つの期待に胸をときめかして道を急いでいるのだった。
一つの期待って・・・?(゚Д゚)ノ

そのうちに大粒の雨が私を打ち始めた。折れ曲がった急な坂道を駆け登った。ようやく峠の北口の茶屋に辿りついてほっとすると同時に、私はその入口で立ちすくんでしまった。あまりに期待が見事に的中したからである。そこで旅芸人の一行が休んでいるのだ。
突っ立っている私を見た踊り子がすぐに自分の座布団を外して、裏返しにそばへ置いた。

一つの期待って・・・下心かよ!^±^

「ええ・・・・・・・」
とだけ言って、私はその上に腰を下した。坂道を走った息切れと驚きとで、
「ありがとう」
という言葉が喉にひっかかって出なかったのだ。

何? お礼の言葉が喉にひっかかった?
・・・「お~い山田君、学生さんの座布団全部取っちゃいな!」^±^ノ

踊子と間近に向い合ったので、私はあわてて袂(たもと)から煙草を取り出した。踊り子がまた連れの女の前の煙草盆を引き寄せて私に近くしてくれた。やっぱり私は黙っていた。
踊子は十七くらいに見えた。私には分らない古風の不思議な形に大きく髪を結っていた。
それが卵形の凛々しい(りりしい)顔を非常に小さく見せながらも、美しく調和していた。髪を豊かに誇張して描いた、稗史(はいし)的な娘の絵姿のような感じだった。

これで顔が岩石形ででかかったら悲惨だぉ!^±^
それはともかく、この学生、かなりむっつりスケベーだな~。^±^ノ

踊子の連れは四十代の女が一人、若い女が二人、ほかに長岡温泉の宿屋の印半纏(しるしばんてん)を着た二十五六の男がいた。
連れはどうでもいいって、書き方ダナコリャ。^±^ノ

私はそれまでにこの踊子たちを二度見ているのだった。最初は私が湯ヶ島へ来る途中、修善寺へ行く彼女たちと湯川橋の近くで出会った。その時は若い女が三人だったが、踊子は太鼓をさげていた。私は振り返り振り返り眺めて、旅情が自分の身についたと思った。それから、湯ヶ島の二日目の夜、宿屋へ流して来た。踊子が玄関の板敷きで踊るのを、私は梯子段の中途に腰を下して一心に見ていた。
踊子以外眼に入ってないし、やっぱりムッツリスケベーダヨ~。^±^ノ

―あの日が修善寺で今夜が湯ヶ島なら、明日は天城を南に越えて湯ヶ野温泉へ行くのだろう。天城七里の山道できっと追いつけるだろう。そう空想して道を急いで来たのだったが、雨宿りの茶屋でぴったり落ち合ったものだから、私はどぎまぎしてしまったのだ。
ムッツリを超えてストーカーだぁよ!^±^

ひとつ間違えばストーカーだってば。現実はこーはいかんすよね~。
ともすれば、
「やばい人が付きまとってる」
・・・って警察に通報されちゃうっす。←ぉぃらの顔だったらネ。^±^

それにしてもこの青年、偶然を装いながらもこんなに計画的だったとは・・・。^±^
それに、のちのち、この小説に出てくるけど、踊り子のエロカコイィ~(゚∀゚)ノ!☆入浴シーンもコソーリ見てるんですよね。

ジャ、マタネ~^±^ノ

テーマ : 文学
ジャンル : 小説・文学

チチロムシ(詩)

踏み切りの横の
叢(くさむら)の影

チチロムシが
ココロ、ココロ

とうの昔に
最終電車は行っちゃったよ
踏み切りの警報機も
夜明けまでは鳴らないよ

眠った時間の
ちょうどまんなかあたりで

チチロムシが
ココロ、ココロ

ころがったダンボオル
今宵は誰がねぐらに
夜はまだ長いですよ
草木も眠る丑三つ時

わびしく鳴きます
ココロ、ココロ・・・


注)チチロムシとはこおろぎのことです。^±^←こいつの脳みそでも鳴いている
ここで誰かの俳句を引用します。

 米びつに 米なき時の チチロムシ・・・

うわうわ。
わびしいですね、確かに。^±^ ←脳みその みそなき隅で チチロムシ (脳みそわびし)

脳みそのないわが頭の隅で、チチロムシ(コオロギ)が鳴いてます。^±^
本当にわびしいやつだな、お前はよっ!(゚Д゚)ノx±x。
 

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

どばと(詩)

アンテエナの上で
どばとが
デデッポッポオ
デデッポッポオ

ステエジで歌う
ロック歌手のように
頸だけ上下に
振りながら

あまりのどばとの
から騒ぎに
とうとうアンテエナは
ぶっこわれ

右往左往の
世の中だから
テレビはもう
うつりません

デデッポッポオ
デデッポッポオ

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

かみなり三日(詩)

つゆあけ前の
かみなり三日

耐えていけるかなあ

つゆあけ後の
すかっぱれにも

干い(ひい)上がりそう

今日もおえらいさんに怒られた
反省もへったくれもないから

かみなり三日

心は毎日
つゆあけ前

心は毎日
つゆあけ前

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

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