植物博士・牧野富太郎博士、人となり
植物博士・牧野富太郎博士、人となり
緑の森自然観察会原稿草案

さあ困ったぞ、原稿なんて書いたことがない…。
下書き用に原稿用紙を用意したが、まともにこれと向き合ったのは、卒業論文以来じゃないかな。
しかし今更、何を書こうか迷っても仕方がないので、植物界の草分け(まあ、パイオニアということ。これが本当の草分けね)である牧野富太郎博士のことでも書こうかと、僭越と思いつつも、筆を執る。
牧野富太郎博士。1862年5月22日(文久2年4月24日、旧暦閏年月日かと)に生まれ、1957年(昭和32年)1月18日)没であるから、相当長生きである。ざっと95年も生きたということだ。
彼は、言わずと知れた日本の植物学者で(もちろん、誰もがわかってるが)、「日本の植物学の父」との異名あり。
高知県高岡郡佐川町出身。
牧野博士の生い立ちは、終始一貫、植物の志こそあったものの、必ずしも順風満帆であったわけでなく、10歳より寺子屋、さらに塾で学び、その後12歳で佐川小学校へも入学するも、たった2年で中退。
好きな植物採集にあけくれる生活を送るようになる。
小学校を中退した理由だが、当人いわく、実家が酒屋だったので、小学校で学業を修め、それで身を立てることは全く考えていなかったからだと述べている。
かくいう私も、本当言うと、大学は文学部だし、数学は好きだったものの、社会科、理科よりは国語、数学のほうが好きだという偏屈者だったわけで、少なくても人の生き様をとやかく言えた義理ではないが。
小学校を中退した牧野氏は、地元の学校の教師、伊藤徳裕(蘭林)の塾から英語を学び、独学で学問を励む。
また一方で植物採集、写生、観察など研究を続けながら、欧米の植物学も勉強し、当時の著名な学者の知己も得るようになる。
書籍や顕微鏡が欲しくなるなど研究心が固まった牧野は19歳の時に上京、22歳で東京帝国大学(現東大)理学部植物学教室に出入りし、25歳で、共同で『植物学雑誌』を創刊。
その後、26歳でかねてから構想していた『日本植物志図篇』の刊行を自費で始めたが、これが植物図鑑の祖といわれている書籍である。
それから牧野は東京と郷里を往復しながら研究者の地位を確立していくが、それに「比するように、次第に家産も傾いたといわれている。
牧野氏の植物研究に使った費用は相当なものであるという。
造り酒屋であった実家の財産を使ったが、これは上京する際に親戚に譲るも、後日は植物研究のために困窮し、やむなく妻が始めた料亭の収益も研究につぎ込んだ。
その料亭の件、当時の大学の権威を無視した出版などが元で、大学を追われたこともあった。
だが、それ以上に、彼の情熱に心を動かすものもあり、結局、78歳まで実に47年のあいだ、東大植物学教室になくてはならない講師として日本の植物学に貢献することとなる。
また、牧野氏の金銭感覚の欠如や、彼が借りた大学所蔵文献を、約束時になっても返却しないなど、マイペースな性格ゆえの行動による、周囲からの軋轢もあったという。
加えて、大学の権威を無視した出版もしたことも重なり、これらの態度を非難する者も少なからずいたらしい。
しかしそれは「研究に邁進、没頭するあまりの行ない」のためなのでやむを得ない、と黙認(要するに、「目をつぶる」ってやつね)されたのが多数であったらしい。
さらに学歴のない牧野氏は、それがために人生に不利なことも多々あったようだ。
27歳で新種のヤマトグサに学名をつけ、『植物学雑誌』に発表。同年、横倉山でコオロギラン発見。
28歳で東京・小岩でムジナモ発見。
彼の感動的な逸話もある。
昭和3年、妻の壽衛(すえ=旧姓小澤壽衛)が死去した際、新種のササにスエコザサと命名。
料亭の収益を使い果たしたり、苦労をかけたというすまない思いが、彼の心中のどこかにに去来したんだろうか。
彼はまた、植物以外でも、鉱石、音楽にも興味があったという。
牧野博士が発見した植物。
ムジナモ、センダイヤザクラ、トサトラフタケ、ヨコグラツクバネ、アオテンナンショウ、コオロギラン、スエコザサ、バイカオウレンなど。
牧野博士が命名した、ユニークな植物。
ワルナスビ、ノボロギク、イヌノフグリ、ハキダメギクなど。
ワルナスビ。明治39年に牧野博士により命名。千葉県成田市の御料牧場にて「悪る茄子」と命名。
強力な地下茎が土中深く四方に蔓こり、根絶させようとするも、始末におえず、隣の農家の畑へも侵入するという有様で、花も実もなんら観るに足らないヤクザものだから仕方ない、とある。
ノボロギク。「野に生えるボロギク」の意で、本来のボロギクとはサワギクのこと。咲いている花が襤褸雑巾のようである説もあるが、花の後に残る綿毛の種が、ぼろぼろだからという説とあるようだ。
オオイヌノフグリ。果実の形状が雄犬の陰嚢に似ていることで牧野博士が命名したが、オオイヌノフグリの種がこれと似ていないところから、イヌノフグリの大きい、つまり「大犬・のふぐり(陰嚢)」ではなくて、「大・イヌノフグリ」と言葉を分割する。これはカラスノエンドウが「烏の・豌豆」ではなく「烏・野豌豆」と分割するようなもので、中点(中黒)をつけないと紛らわしい。
ハキダメギク。牧野富太郎が世田谷区経堂の掃き溜めで発見したのでこの名前がついた。湿った肥沃地を特に好むゆえ、この名がついたのか。然るに、乾燥した場所にも繁茂する。雨、風、動物、すなわち人間によって花を移動させることもあり。
また、生き別れになった愛人・お滝を偲んでアジサイにHydorangea macrophylla Sieb. var. otakusaの学名を命名したシーボルトについて。
otakusaの由来をシーボルトは日本での地方名だと著書にのべていたものが事実に反し、お滝に献名したものであることを突き止めたのも富太郎氏である。
その牧野富太郎博士。今年で生誕150年を記念する。

※
そして、2012年5月27日に行なった、草本標本調査結果もこの場をお借りして発表します。
調査場所:①所沢市・八幡田んぼ、②入間市・西久保田んぼ
それぞれの場所の2箇所を、ランダムで選びます。その植物を、1メートル四方をランダムに選び、被度を調査。
任意の場所で出た、それぞれのデータの数値は、被度(全体を10としての割合)-高さ(センチであらわす)とします。
①所沢市・八幡田んぼ(2箇所)
A.八幡田んぼ(南側土手)
カナムグラ 2-27
カキドオシ 2-4
ヤハズエンドウ(カラスノエンドウ) 1-28.5
スギナ 3-30(1-30から見直しあり?)
ドクダミ 1-8
ヨモギ 1-4
ハルジオン 1-4
ヒルガオ 1-3
カラスビシャク 1-11
タチイヌノフグリ 1-3.5
ケキツネノボタン 1-8
カタバミ 1-9
ヤエムグラ 1-9
エノコログサ 1-34
ナガミヒナゲシ 1-16
レンプクソウ 1-8.5
ヒナタイノコヅチ 2-14
B.八幡田んぼ(西側土手)
ヘビイチゴ 4-6
ハルジオン 2-31
セリバヒエンソウ 1-19
ヒルガオ 3-16
オオバコ 2-19
スギナ 2-25
スズメノカタビラ 3-23
スズメノテッポウ 2-18
トキワハゼ 3-10
ホトケノザ 1-9
シキシダ 1-7
タチイヌノフグリ 1-8
②入間市・西久保田んぼ(2箇所)
C.西久保田んぼ・水田東土手
オオバコ 5-8
ハルジオン 1-26
ドクダミ 3-15
セイヨウタンポポ 1-16
ヘビイチゴ 3-16
オヘビイチゴ 2-32
トボシガラ 2-47
サヤノカグサ 2-33
イ(イグサ) 1-37
アブノメ 1-13
D.西久保田んぼ・中央広場
ハルジオン 2-44
シロツメクサ 1-15
オオバコ 3-18
トキワハゼ 2-10
ヤハズエンドウ(カラスノエンドウ) 1-18
タチイヌノフグリ 1-12
ヘビイチゴ 1-5
カタバミ 1-4
ヒメオドリコソウ 1-9
カラスムギ 2-37
スズメノカタビラ 3-19
カヤツリグサ 1-23
ムラサキサギゴケ 1-14
このように調査をいたします。^±^
そこで、気づいたこと。^±^ノ
タチイヌノフグリがあちこちで発見されています。
オオイヌノフグリは有名ですが、タチイヌノフグリは今後出てくる傾向にあるかもしれませんね。
植物が面白くなってきた~。^±^ノ
追伸。牧野博士が奥様の名前をつけたのは、感謝だけでなく・・・。
懺悔の気持ちもあったのかな。^±^
緑の森自然観察会原稿草案

さあ困ったぞ、原稿なんて書いたことがない…。
下書き用に原稿用紙を用意したが、まともにこれと向き合ったのは、卒業論文以来じゃないかな。
しかし今更、何を書こうか迷っても仕方がないので、植物界の草分け(まあ、パイオニアということ。これが本当の草分けね)である牧野富太郎博士のことでも書こうかと、僭越と思いつつも、筆を執る。
牧野富太郎博士。1862年5月22日(文久2年4月24日、旧暦閏年月日かと)に生まれ、1957年(昭和32年)1月18日)没であるから、相当長生きである。ざっと95年も生きたということだ。
彼は、言わずと知れた日本の植物学者で(もちろん、誰もがわかってるが)、「日本の植物学の父」との異名あり。
高知県高岡郡佐川町出身。
牧野博士の生い立ちは、終始一貫、植物の志こそあったものの、必ずしも順風満帆であったわけでなく、10歳より寺子屋、さらに塾で学び、その後12歳で佐川小学校へも入学するも、たった2年で中退。
好きな植物採集にあけくれる生活を送るようになる。
小学校を中退した理由だが、当人いわく、実家が酒屋だったので、小学校で学業を修め、それで身を立てることは全く考えていなかったからだと述べている。
かくいう私も、本当言うと、大学は文学部だし、数学は好きだったものの、社会科、理科よりは国語、数学のほうが好きだという偏屈者だったわけで、少なくても人の生き様をとやかく言えた義理ではないが。
小学校を中退した牧野氏は、地元の学校の教師、伊藤徳裕(蘭林)の塾から英語を学び、独学で学問を励む。
また一方で植物採集、写生、観察など研究を続けながら、欧米の植物学も勉強し、当時の著名な学者の知己も得るようになる。
書籍や顕微鏡が欲しくなるなど研究心が固まった牧野は19歳の時に上京、22歳で東京帝国大学(現東大)理学部植物学教室に出入りし、25歳で、共同で『植物学雑誌』を創刊。
その後、26歳でかねてから構想していた『日本植物志図篇』の刊行を自費で始めたが、これが植物図鑑の祖といわれている書籍である。
それから牧野は東京と郷里を往復しながら研究者の地位を確立していくが、それに「比するように、次第に家産も傾いたといわれている。
牧野氏の植物研究に使った費用は相当なものであるという。
造り酒屋であった実家の財産を使ったが、これは上京する際に親戚に譲るも、後日は植物研究のために困窮し、やむなく妻が始めた料亭の収益も研究につぎ込んだ。
その料亭の件、当時の大学の権威を無視した出版などが元で、大学を追われたこともあった。
だが、それ以上に、彼の情熱に心を動かすものもあり、結局、78歳まで実に47年のあいだ、東大植物学教室になくてはならない講師として日本の植物学に貢献することとなる。
また、牧野氏の金銭感覚の欠如や、彼が借りた大学所蔵文献を、約束時になっても返却しないなど、マイペースな性格ゆえの行動による、周囲からの軋轢もあったという。
加えて、大学の権威を無視した出版もしたことも重なり、これらの態度を非難する者も少なからずいたらしい。
しかしそれは「研究に邁進、没頭するあまりの行ない」のためなのでやむを得ない、と黙認(要するに、「目をつぶる」ってやつね)されたのが多数であったらしい。
さらに学歴のない牧野氏は、それがために人生に不利なことも多々あったようだ。
27歳で新種のヤマトグサに学名をつけ、『植物学雑誌』に発表。同年、横倉山でコオロギラン発見。
28歳で東京・小岩でムジナモ発見。
彼の感動的な逸話もある。
昭和3年、妻の壽衛(すえ=旧姓小澤壽衛)が死去した際、新種のササにスエコザサと命名。
料亭の収益を使い果たしたり、苦労をかけたというすまない思いが、彼の心中のどこかにに去来したんだろうか。
彼はまた、植物以外でも、鉱石、音楽にも興味があったという。
牧野博士が発見した植物。
ムジナモ、センダイヤザクラ、トサトラフタケ、ヨコグラツクバネ、アオテンナンショウ、コオロギラン、スエコザサ、バイカオウレンなど。
牧野博士が命名した、ユニークな植物。
ワルナスビ、ノボロギク、イヌノフグリ、ハキダメギクなど。
ワルナスビ。明治39年に牧野博士により命名。千葉県成田市の御料牧場にて「悪る茄子」と命名。
強力な地下茎が土中深く四方に蔓こり、根絶させようとするも、始末におえず、隣の農家の畑へも侵入するという有様で、花も実もなんら観るに足らないヤクザものだから仕方ない、とある。
ノボロギク。「野に生えるボロギク」の意で、本来のボロギクとはサワギクのこと。咲いている花が襤褸雑巾のようである説もあるが、花の後に残る綿毛の種が、ぼろぼろだからという説とあるようだ。
オオイヌノフグリ。果実の形状が雄犬の陰嚢に似ていることで牧野博士が命名したが、オオイヌノフグリの種がこれと似ていないところから、イヌノフグリの大きい、つまり「大犬・のふぐり(陰嚢)」ではなくて、「大・イヌノフグリ」と言葉を分割する。これはカラスノエンドウが「烏の・豌豆」ではなく「烏・野豌豆」と分割するようなもので、中点(中黒)をつけないと紛らわしい。
ハキダメギク。牧野富太郎が世田谷区経堂の掃き溜めで発見したのでこの名前がついた。湿った肥沃地を特に好むゆえ、この名がついたのか。然るに、乾燥した場所にも繁茂する。雨、風、動物、すなわち人間によって花を移動させることもあり。
また、生き別れになった愛人・お滝を偲んでアジサイにHydorangea macrophylla Sieb. var. otakusaの学名を命名したシーボルトについて。
otakusaの由来をシーボルトは日本での地方名だと著書にのべていたものが事実に反し、お滝に献名したものであることを突き止めたのも富太郎氏である。
その牧野富太郎博士。今年で生誕150年を記念する。

※
そして、2012年5月27日に行なった、草本標本調査結果もこの場をお借りして発表します。
調査場所:①所沢市・八幡田んぼ、②入間市・西久保田んぼ
それぞれの場所の2箇所を、ランダムで選びます。その植物を、1メートル四方をランダムに選び、被度を調査。
任意の場所で出た、それぞれのデータの数値は、被度(全体を10としての割合)-高さ(センチであらわす)とします。
①所沢市・八幡田んぼ(2箇所)
A.八幡田んぼ(南側土手)
カナムグラ 2-27
カキドオシ 2-4
ヤハズエンドウ(カラスノエンドウ) 1-28.5
スギナ 3-30(1-30から見直しあり?)
ドクダミ 1-8
ヨモギ 1-4
ハルジオン 1-4
ヒルガオ 1-3
カラスビシャク 1-11
タチイヌノフグリ 1-3.5
ケキツネノボタン 1-8
カタバミ 1-9
ヤエムグラ 1-9
エノコログサ 1-34
ナガミヒナゲシ 1-16
レンプクソウ 1-8.5
ヒナタイノコヅチ 2-14
B.八幡田んぼ(西側土手)
ヘビイチゴ 4-6
ハルジオン 2-31
セリバヒエンソウ 1-19
ヒルガオ 3-16
オオバコ 2-19
スギナ 2-25
スズメノカタビラ 3-23
スズメノテッポウ 2-18
トキワハゼ 3-10
ホトケノザ 1-9
シキシダ 1-7
タチイヌノフグリ 1-8
②入間市・西久保田んぼ(2箇所)
C.西久保田んぼ・水田東土手
オオバコ 5-8
ハルジオン 1-26
ドクダミ 3-15
セイヨウタンポポ 1-16
ヘビイチゴ 3-16
オヘビイチゴ 2-32
トボシガラ 2-47
サヤノカグサ 2-33
イ(イグサ) 1-37
アブノメ 1-13
D.西久保田んぼ・中央広場
ハルジオン 2-44
シロツメクサ 1-15
オオバコ 3-18
トキワハゼ 2-10
ヤハズエンドウ(カラスノエンドウ) 1-18
タチイヌノフグリ 1-12
ヘビイチゴ 1-5
カタバミ 1-4
ヒメオドリコソウ 1-9
カラスムギ 2-37
スズメノカタビラ 3-19
カヤツリグサ 1-23
ムラサキサギゴケ 1-14
このように調査をいたします。^±^
そこで、気づいたこと。^±^ノ
タチイヌノフグリがあちこちで発見されています。
オオイヌノフグリは有名ですが、タチイヌノフグリは今後出てくる傾向にあるかもしれませんね。
植物が面白くなってきた~。^±^ノ
追伸。牧野博士が奥様の名前をつけたのは、感謝だけでなく・・・。
懺悔の気持ちもあったのかな。^±^
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