昭和42年11月・東京都区分地図04=新宿区
昭和42年11月の地図です。
新宿区です。サムネイル版です。

いかがでしたか?
昭和42年思い出話。^±^
新宿といえば、西口がまだ副都心になっていないこのころ、その周辺で一番でかかったビルが「緑屋」でしたね。
デパートなんですが、丸の中に漢字の「緑」の文字で、背景が緑色で白い文字のネオンサインでした。
もっとも、西口は寂れていて、高いビルがなかったんですよね。
したがって、西口にはほとんど遊びに行ったことがなかったですが・・・。
遊びに行っても、小田急デパートとか京王百貨店ぐらいでしたかね。
副都心のビル群の場所は、昔は十二社池(じゅうにそういけ)という、大きな池があったんですよ。バス停にも、「十二社池の下」なんてあったし。
その反対側の新宿駅東口は歌舞伎町を中心に、にぎやかでした。
また、伊勢丹には遊びに行きましたよ。^±^
屋上で、大野しげひささんがショーをやってました。^±^…大野さん、歌も歌ったんだけどなあ
そんなわけないだろうが!(゚Д゚)ノx±x
大野しげひささんは俳優と司会者なんだぞ!(゚Д゚)ノx±x
お前の空耳ならぬ、空脳だろうが!(゚Д゚)ノx±x…本当なんだよう
空脳ではありません。^±^ノ
「橋を渡って出て行く人は」という歌を出してました。^±^←よく調べたな
歌の最初も覚えてます。
♪この橋渡って~出て行く人は~・・・φ^±^ノ
ってな、ちょっといい歌でしたよ。^±^←そこまでしか覚えてない
よく調べたな!(゚Д゚)ノx±x…作詞=阿久悠さん、作曲=鈴木邦彦さん(東宝レコード)
さて新宿東口がにぎやかだった話に戻しましょう。
そのとき思ったのが、国鉄の新宿駅から都電の新宿駅まで遠かったことですか。
新宿駅前、角筈(つのはず)、四谷三光町と、この間の都電の距離がまことに短い印象も。
下手すると、都電の新宿駅前から四谷三光町までと、都電と国鉄の新宿駅との距離を比べると、後者よりも前者の方が近かった気さえしてました。
角筈という電停にも興味ありましたね。^±^
こんな街中なのに、こんな田舎っぽい名前の電停があるとは、と。
でもよく見ると、新宿駅の住所も「角筈1丁目」なんですね。^±^…角筈って
WIKIによると、角筈周辺を開拓した渡辺与兵衛の髪の束ね方が異様で、角にも矢筈にも見えたことから、人々が与兵衛を角髪または矢筈と呼び、これが転じて角筈となったそうですな。
お前の脳みそだって異様だろうが!(゚Д゚)ノx±x←脳みそが角筈
新宿区の思い出はもうひとつありますね。
子供のころは中野区沼袋に住んでいまして、うちが自転車に何とか乗れるようになると、一人で冒険をすることが好きになってあっちこっち、一人でどこでも行ってました。
尤も、どこでもといっても限度があり、最初こそ、片道2~3キロが限度でしたが。
で、哲学堂に行こうと思って、新井薬師前駅を経由して自転車に乗っていくと突然、見慣れない住居表示板が。
それは薄紫色で、区全体が緑色の住居表示板である中野区からすると、子供心に珍しく、羨望のカラーの住居表示板でした。
で、新宿区はその当時、何色かの住居表示板がありましてね。
西落合は薄紫色、中井駅は黄緑色、中落合は茶色、上落合が紺色だったかと。^±^
子供のころはちょっとしたことでも大きな冒険でしたね。
地図が特に好きになったきっかけがこんなところにもあったのか。
元々は、沼袋町から沼袋3丁目に住居表示が実施されたときから興味はあったのですがね。
新宿区です。サムネイル版です。

いかがでしたか?
昭和42年思い出話。^±^
新宿といえば、西口がまだ副都心になっていないこのころ、その周辺で一番でかかったビルが「緑屋」でしたね。
デパートなんですが、丸の中に漢字の「緑」の文字で、背景が緑色で白い文字のネオンサインでした。
もっとも、西口は寂れていて、高いビルがなかったんですよね。
したがって、西口にはほとんど遊びに行ったことがなかったですが・・・。
遊びに行っても、小田急デパートとか京王百貨店ぐらいでしたかね。
副都心のビル群の場所は、昔は十二社池(じゅうにそういけ)という、大きな池があったんですよ。バス停にも、「十二社池の下」なんてあったし。
その反対側の新宿駅東口は歌舞伎町を中心に、にぎやかでした。
また、伊勢丹には遊びに行きましたよ。^±^
屋上で、大野しげひささんがショーをやってました。^±^…大野さん、歌も歌ったんだけどなあ
そんなわけないだろうが!(゚Д゚)ノx±x
大野しげひささんは俳優と司会者なんだぞ!(゚Д゚)ノx±x
お前の空耳ならぬ、空脳だろうが!(゚Д゚)ノx±x…本当なんだよう
空脳ではありません。^±^ノ
「橋を渡って出て行く人は」という歌を出してました。^±^←よく調べたな
歌の最初も覚えてます。
♪この橋渡って~出て行く人は~・・・φ^±^ノ
ってな、ちょっといい歌でしたよ。^±^←そこまでしか覚えてない
よく調べたな!(゚Д゚)ノx±x…作詞=阿久悠さん、作曲=鈴木邦彦さん(東宝レコード)
さて新宿東口がにぎやかだった話に戻しましょう。
そのとき思ったのが、国鉄の新宿駅から都電の新宿駅まで遠かったことですか。
新宿駅前、角筈(つのはず)、四谷三光町と、この間の都電の距離がまことに短い印象も。
下手すると、都電の新宿駅前から四谷三光町までと、都電と国鉄の新宿駅との距離を比べると、後者よりも前者の方が近かった気さえしてました。
角筈という電停にも興味ありましたね。^±^
こんな街中なのに、こんな田舎っぽい名前の電停があるとは、と。
でもよく見ると、新宿駅の住所も「角筈1丁目」なんですね。^±^…角筈って
WIKIによると、角筈周辺を開拓した渡辺与兵衛の髪の束ね方が異様で、角にも矢筈にも見えたことから、人々が与兵衛を角髪または矢筈と呼び、これが転じて角筈となったそうですな。
お前の脳みそだって異様だろうが!(゚Д゚)ノx±x←脳みそが角筈
新宿区の思い出はもうひとつありますね。
子供のころは中野区沼袋に住んでいまして、うちが自転車に何とか乗れるようになると、一人で冒険をすることが好きになってあっちこっち、一人でどこでも行ってました。
尤も、どこでもといっても限度があり、最初こそ、片道2~3キロが限度でしたが。
で、哲学堂に行こうと思って、新井薬師前駅を経由して自転車に乗っていくと突然、見慣れない住居表示板が。
それは薄紫色で、区全体が緑色の住居表示板である中野区からすると、子供心に珍しく、羨望のカラーの住居表示板でした。
で、新宿区はその当時、何色かの住居表示板がありましてね。
西落合は薄紫色、中井駅は黄緑色、中落合は茶色、上落合が紺色だったかと。^±^
子供のころはちょっとしたことでも大きな冒険でしたね。
地図が特に好きになったきっかけがこんなところにもあったのか。
元々は、沼袋町から沼袋3丁目に住居表示が実施されたときから興味はあったのですがね。
スポンサーサイト