どうして林家たい平(略)。^±^ノその2=名勝猿橋は日本三奇橋
さて、引き続き、「どうして林家たい平(略)。^±^ノ2」です。^±^
「どうして林家たい平は三遊亭小遊三に『ヤマナッシー!』と言って体当りしないのか。その2」というタイトルの略です。
タイトルが長すぎるぞ!(゚Д゚)ノx±x。
まあ、何の事ない、2014年5月18日に、山梨に行ってきた話なんですがね。^±^
駅から猿橋までは、1キロちょっとでした。
このようなアーチがかかった場所から入っていくと橋があるんです。

その最寄のバス停は「猿橋」。サムネイル版です。

猿橋バス停です。こちらもサムネイル版です。

「猿橋」のアーチをくぐりますと、裏側には「日本三奇橋」の文字が。
これは期待できます。^±^

ちなみに、日本三奇橋というのは、山梨県の猿橋のほかに、山口県岩国の錦帯橋(きんたいきょう)、徳島祖谷渓のかずら橋とされてますが、ほかに、栃木県日光の神橋や、富山県黒部川の愛本橋、長野県の木曽の木曽の棧(きそのかけはし)が入るという説もあります。
いずれにせよ、猿橋と錦帯橋は「日本三奇橋」に入ってますが、3つ目の橋がどれなのか、というところでいろいろな説があるようですね。
ちょっと前のガイドブックには「かずら橋」を取り上げているところが多いのですが。^±^;
橋の袂には神社があります。

「山王宮」です。

それでは、猿橋を渡ってみることにしましょう。橋は木造です。

橋は長さ30.9メートル、幅3.3メートル。水面からの高さ31メートル。
橋の長さよりも高さのほうがあります。^±^

下流方面を見ると、茶色く見えるのが、八ツ沢発電所一号水路橋だそうです。

それでは、反対側、上流部を見てみましょう。^±^ノ
橋の真ん中から真下を見ると、コワー。+±+

緑の水面と人の鼻のような岩がやけに印象的です。
こちらの緑色の橋は「新猿橋」。
「山梨県道505号小和田猿橋線」に掛けられた橋です。

もう一度、29日の写真を入れておきます。
人の鼻のような岩。^±^;
お前の鼻もちぎって川に浮かばせてやろうか!(゚Д゚)ノx±x。…ヤダヨー

もう一度下流部。
あ、大きな鯉がいますが、わかりますでしょうか?^±^ノ…ちょうど影になるところですよ

茶色く見えるのが八ツ沢発電所一号水路橋。
さらにその向こうの赤い橋も「新猿橋」で、国道20号線が通ってます。^±^
そうなのです。
猿橋を挟んで上流、下流それぞれ「新猿橋」が2つあるのです。^±^;…ヤヤコシイナア

29日の写真ですが、新猿橋はこちらのほうがわかりやすいかも。^±^;

それでは橋から戻ります。

橋のところには食事が出来るところがあります。「忠治そば」の大黒屋さん。
なんでも、赤城山から逃げてきた国定忠治をこのお店のことがきじそばを食べさせたのが所縁だそうです。

名勝猿橋の看板です。サムネイル版です。

その横から下る道がありますので行ってみます。^±^ノ

下った場所から見る「猿橋」も見事なものでして。
刎橋(はねばし)という形式で造られてます。
岸の岩盤に穴を開けて刎ね木を斜めに差込み、中空に突き出させ、その上に同様の刎ね木を突き出し、下の刎ね木に支えさせる方式です。
橋脚を使わず桁を何段も重ねて突き出した造りですね。
作った方は結構、命懸けです。+±+

29日の写真も載せておきますね。^±^ノ

さらに下る道があります。^±^
てか、下るのに「展望台」って・・・^±^;

道はかなり急です。足元を滑らせないように。+±+
お前はここで躓けよ!(゚Д゚)ノx±x。…ヤダヨー

猿橋の高さが手に取るようにわかります。
が、樹が生い茂りすぎて、空は見えません。x±x

あんなに下に見えていた、人間の鼻のような岩が大きく見えます。^±^ノ

それでは駐車場に戻りましょう。
とはいうものの、登りも急で大変。x±x
駐車場の横にあったのが三猿。

三猿の説明板です。サムネイル版です。

三猿塔の由来
奈良朝の昔、此の辺の交通は至極難渋であって、警告を渡る事などは思いもよらなかった。
茲に桂川渓谷は、奥は小金沢から大菩薩峠に続く大幽谷で、当時此の辺は老樹うっそう昼なほ暗き原始林に覆われていた。猪や鹿、ことに山猿は群れをなしていた。或る日白毛の老猿が、欅の枝に吊下ると小猿共は互いに手足をつないで向岸の藤蔓にとびつきながら懸橋の形となり、それをたよりに両岸を往来した。之にヒントを得た、百済の造園の博士、芝蓍麻呂(しきまろ)が構築したのが、日本三奇橋の一ツと呼ばれるこの猿橋であるとの伝誦(でんしょう)から現在白猿の霊像が祀られている。茲に三猿の塔を造成しその霊徳を萬世に伝へる事にした。
かって詩人野口雨情は此の地に遊び
甲州猿橋 お山の猿が お手々つないで かけた橋
と唄われた。
何この、新旧織り交ぜた文章は。^±^;
でも、ここに「猿橋」の由来を垣間見た気がします。^±^ノ
♪猿になるよ~、猿になるよ~・・・φ^±^ノ
♪今日人類が初めて木星に着いたよ~・・・φ^±^ノ…着いたヤッホー
「たま」の「さよなら人類」かよ!(゚Д゚)ノx±xノφ
猿橋のWIKIです。^±^ノ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%BF%E6%A9%8B
猿橋は大月付近の岩殿山と併せてハイキングしてもよさそうですね。
名勝地自体は小さく、こじんまりとしていますがね。^±^;
また紅葉の季節もよさげです。^±^
♪今日てくっぺが初めて、猿橋に着いたよ~・・・φ^±^ノ
「どうして林家たい平は三遊亭小遊三に『ヤマナッシー!』と言って体当りしないのか。その2」というタイトルの略です。
タイトルが長すぎるぞ!(゚Д゚)ノx±x。
まあ、何の事ない、2014年5月18日に、山梨に行ってきた話なんですがね。^±^
駅から猿橋までは、1キロちょっとでした。
このようなアーチがかかった場所から入っていくと橋があるんです。

その最寄のバス停は「猿橋」。サムネイル版です。

猿橋バス停です。こちらもサムネイル版です。

「猿橋」のアーチをくぐりますと、裏側には「日本三奇橋」の文字が。
これは期待できます。^±^

ちなみに、日本三奇橋というのは、山梨県の猿橋のほかに、山口県岩国の錦帯橋(きんたいきょう)、徳島祖谷渓のかずら橋とされてますが、ほかに、栃木県日光の神橋や、富山県黒部川の愛本橋、長野県の木曽の木曽の棧(きそのかけはし)が入るという説もあります。
いずれにせよ、猿橋と錦帯橋は「日本三奇橋」に入ってますが、3つ目の橋がどれなのか、というところでいろいろな説があるようですね。
ちょっと前のガイドブックには「かずら橋」を取り上げているところが多いのですが。^±^;
橋の袂には神社があります。

「山王宮」です。

それでは、猿橋を渡ってみることにしましょう。橋は木造です。

橋は長さ30.9メートル、幅3.3メートル。水面からの高さ31メートル。
橋の長さよりも高さのほうがあります。^±^

下流方面を見ると、茶色く見えるのが、八ツ沢発電所一号水路橋だそうです。

それでは、反対側、上流部を見てみましょう。^±^ノ
橋の真ん中から真下を見ると、コワー。+±+

緑の水面と人の鼻のような岩がやけに印象的です。
こちらの緑色の橋は「新猿橋」。
「山梨県道505号小和田猿橋線」に掛けられた橋です。

もう一度、29日の写真を入れておきます。
人の鼻のような岩。^±^;
お前の鼻もちぎって川に浮かばせてやろうか!(゚Д゚)ノx±x。…ヤダヨー

もう一度下流部。
あ、大きな鯉がいますが、わかりますでしょうか?^±^ノ…ちょうど影になるところですよ

茶色く見えるのが八ツ沢発電所一号水路橋。
さらにその向こうの赤い橋も「新猿橋」で、国道20号線が通ってます。^±^
そうなのです。
猿橋を挟んで上流、下流それぞれ「新猿橋」が2つあるのです。^±^;…ヤヤコシイナア

29日の写真ですが、新猿橋はこちらのほうがわかりやすいかも。^±^;

それでは橋から戻ります。

橋のところには食事が出来るところがあります。「忠治そば」の大黒屋さん。
なんでも、赤城山から逃げてきた国定忠治をこのお店のことがきじそばを食べさせたのが所縁だそうです。

名勝猿橋の看板です。サムネイル版です。

その横から下る道がありますので行ってみます。^±^ノ

下った場所から見る「猿橋」も見事なものでして。
刎橋(はねばし)という形式で造られてます。
岸の岩盤に穴を開けて刎ね木を斜めに差込み、中空に突き出させ、その上に同様の刎ね木を突き出し、下の刎ね木に支えさせる方式です。
橋脚を使わず桁を何段も重ねて突き出した造りですね。
作った方は結構、命懸けです。+±+

29日の写真も載せておきますね。^±^ノ

さらに下る道があります。^±^
てか、下るのに「展望台」って・・・^±^;

道はかなり急です。足元を滑らせないように。+±+
お前はここで躓けよ!(゚Д゚)ノx±x。…ヤダヨー

猿橋の高さが手に取るようにわかります。
が、樹が生い茂りすぎて、空は見えません。x±x

あんなに下に見えていた、人間の鼻のような岩が大きく見えます。^±^ノ

それでは駐車場に戻りましょう。
とはいうものの、登りも急で大変。x±x
駐車場の横にあったのが三猿。

三猿の説明板です。サムネイル版です。

三猿塔の由来
奈良朝の昔、此の辺の交通は至極難渋であって、警告を渡る事などは思いもよらなかった。
茲に桂川渓谷は、奥は小金沢から大菩薩峠に続く大幽谷で、当時此の辺は老樹うっそう昼なほ暗き原始林に覆われていた。猪や鹿、ことに山猿は群れをなしていた。或る日白毛の老猿が、欅の枝に吊下ると小猿共は互いに手足をつないで向岸の藤蔓にとびつきながら懸橋の形となり、それをたよりに両岸を往来した。之にヒントを得た、百済の造園の博士、芝蓍麻呂(しきまろ)が構築したのが、日本三奇橋の一ツと呼ばれるこの猿橋であるとの伝誦(でんしょう)から現在白猿の霊像が祀られている。茲に三猿の塔を造成しその霊徳を萬世に伝へる事にした。
かって詩人野口雨情は此の地に遊び
甲州猿橋 お山の猿が お手々つないで かけた橋
と唄われた。
何この、新旧織り交ぜた文章は。^±^;
でも、ここに「猿橋」の由来を垣間見た気がします。^±^ノ
♪猿になるよ~、猿になるよ~・・・φ^±^ノ
♪今日人類が初めて木星に着いたよ~・・・φ^±^ノ…着いたヤッホー
「たま」の「さよなら人類」かよ!(゚Д゚)ノx±xノφ
猿橋のWIKIです。^±^ノ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%BF%E6%A9%8B
猿橋は大月付近の岩殿山と併せてハイキングしてもよさそうですね。
名勝地自体は小さく、こじんまりとしていますがね。^±^;
また紅葉の季節もよさげです。^±^
♪今日てくっぺが初めて、猿橋に着いたよ~・・・φ^±^ノ
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