とでんものがたり・02系統=三田~曙町(東洋大学前)
02系統=三田~曙町(東洋大学前)=昭和42年(1967年)12月10日廃止
注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。
赤色=昭和42年(1967年)12月10日廃止
三田=芝園橋=芝公園=御成門=田村町四丁目(西新橋三丁目)=田村町一丁目(西新橋一丁目)=内幸町=日比谷(日比谷公園)=馬場先門=和田倉門=大手町=神田橋=錦町河岸=一ツ橋=神保町=三崎町=水道橋=後楽園前=春日町(文京区役所前)=初音町(小石川一丁目)=小石川柳町(西片一丁目)=八千代町(白山一丁目)=指ヶ谷町(白山下)=白山上=曙町(東洋大学前)
昔の東京の路面電車。^±^ノ
1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など
青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。
薩摩原(三田)=芝園橋=三門前(増上寺前)=御成門=愛宕町(田村町四丁目)=桜田本郷町(田村町)=内幸町=日比谷=馬場先門=和田倉門=大手町=神田橋=美土代町=小川町=駿河台下=神保町=三崎町=水道橋=壱岐坂下=春日町=柳町(小石川柳町)=掃除町(八千代町)=指ヶ谷町=白山(白山上)=曙町
茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。
三田=四国町×=芝園橋=増上寺前(芝公園)=御成門=田村町四丁目(西新橋三丁目)=田村町(田村町一丁目)=内幸町=日比谷(日比谷公園→日比谷)=馬場先門=和田倉門=大手町=神田橋=錦町河岸=一ツ橋=神保町=三崎町=水道橋=壱岐坂下(後楽園前)=春日町=餌差町(初音町)=柳町(小石川柳町)=八千代町=指ヶ谷町=白山上=曙町
都電地図。^±^ノ
都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^
都電地図。^±^ノ
都電目次。^±^ノ
どうでもいい余話。^±^;
東洋大学前、大学の名前が終点なのはここだけです。
三田といえば慶應義塾大学が近いかな。
大学発大学行きのような電車でしょうかね。
ところで、電停名ですが、三田の前身は「薩摩原」だったのですね。「さつまっぱら」と読むらしいですが。
薩摩藩邸跡がこのあたりにあったそうで、島津斉彬(しまづなりあきら)が生まれた土地でもあります。江戸時代後期から幕末の外様大名で、西郷隆盛という偉大な人材を育てたという、名伯楽(めいはくらく)としても有名です。
そもそもの由来も、薩摩屋敷から来ているのでしょうか。
とでんものがたり。^±^ノ
写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。
「神保町」の比較です。
1954年(昭和29年)6月10日です。

1960年(昭和35年)2月1日です。

九段会館は、「アーミイホール」だったのですね。
アーミイということは、陸軍かなあ・・・。
そう思って、ちょっと調べてみましたところ、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) により接収された(強制的に差し押さえられ、没収された)建物だそうで、1945年9月から、連合軍の宿舎として使われていました。
そして、法律施行の下、953年8月12日に、日本遺族会への無償貸与し、名前を九段会館に変更され、その後、1957年に宿泊施設・食堂を開業すると、結婚式場、宴会場、ホールも利用できるようになり、広く利用されるようになりました。
ところが、2011年3月11日の大地震で天井が崩落、廃業とし、土地・建物の国への返還を正式決議、正式に廃業とし、土地・建物の国への返還を正式決議しました。
実は、当方、出版社の業務部を任されていたのですが、忘年会で一度利用したことがあります。
料理もおいしく、また宴会の料金も安く、とてもいい忘年会で、1年を終えることができ、ありがたかったです。
関係者の方に、改めてお礼を申し上げたいです。
そして、これ、内緒の話ですが・・・。^±^;
年中おなかが緩かったのでトイレもお借りしてたんですがね。^±^;
それは迷惑な話だなっ!(゚Д゚)ノx±x。
武道館は、昭和29年で「学徒会館」、昭和35年で「学生会館」と言ってたのか。
気象庁は、中央気象台ですね。
「美土代町」の都電の電停は、昭和29年のころは、「区役所前」だったようです。
神保町は会社から近かったので、よく行ってました。^±^
~~~~~~~~~~
とでんものがたり02=明治時代の市電その②=鉄道馬車が都電の発祥・2
馬車鉄道には、東京馬車鉄道と、品川馬車鉄道とありました。
品川馬車鉄道は元々は「無軌道式乗合馬車」として営業しておりました。
1889年(明治22年)5月1日、初めて「東京市」となり、1997年(明治30年)頃に、品川馬車鉄道は初めて鉄道を敷いたのですが。
翌々年の1899年(明治32年)6月19日には、品川馬車鉄道は東京馬車鉄道と合併されました。
注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。
赤色=昭和42年(1967年)12月10日廃止
三田=芝園橋=芝公園=御成門=田村町四丁目(西新橋三丁目)=田村町一丁目(西新橋一丁目)=内幸町=日比谷(日比谷公園)=馬場先門=和田倉門=大手町=神田橋=錦町河岸=一ツ橋=神保町=三崎町=水道橋=後楽園前=春日町(文京区役所前)=初音町(小石川一丁目)=小石川柳町(西片一丁目)=八千代町(白山一丁目)=指ヶ谷町(白山下)=白山上=曙町(東洋大学前)
昔の東京の路面電車。^±^ノ
1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など
青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。
薩摩原(三田)=芝園橋=三門前(増上寺前)=御成門=愛宕町(田村町四丁目)=桜田本郷町(田村町)=内幸町=日比谷=馬場先門=和田倉門=大手町=神田橋=美土代町=小川町=駿河台下=神保町=三崎町=水道橋=壱岐坂下=春日町=柳町(小石川柳町)=掃除町(八千代町)=指ヶ谷町=白山(白山上)=曙町
茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。
三田=四国町×=芝園橋=増上寺前(芝公園)=御成門=田村町四丁目(西新橋三丁目)=田村町(田村町一丁目)=内幸町=日比谷(日比谷公園→日比谷)=馬場先門=和田倉門=大手町=神田橋=錦町河岸=一ツ橋=神保町=三崎町=水道橋=壱岐坂下(後楽園前)=春日町=餌差町(初音町)=柳町(小石川柳町)=八千代町=指ヶ谷町=白山上=曙町
都電地図。^±^ノ
都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^
都電地図。^±^ノ
都電目次。^±^ノ
どうでもいい余話。^±^;
東洋大学前、大学の名前が終点なのはここだけです。
三田といえば慶應義塾大学が近いかな。
大学発大学行きのような電車でしょうかね。
ところで、電停名ですが、三田の前身は「薩摩原」だったのですね。「さつまっぱら」と読むらしいですが。
薩摩藩邸跡がこのあたりにあったそうで、島津斉彬(しまづなりあきら)が生まれた土地でもあります。江戸時代後期から幕末の外様大名で、西郷隆盛という偉大な人材を育てたという、名伯楽(めいはくらく)としても有名です。
そもそもの由来も、薩摩屋敷から来ているのでしょうか。
とでんものがたり。^±^ノ
写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。
「神保町」の比較です。
1954年(昭和29年)6月10日です。

1960年(昭和35年)2月1日です。

九段会館は、「アーミイホール」だったのですね。
アーミイということは、陸軍かなあ・・・。
そう思って、ちょっと調べてみましたところ、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) により接収された(強制的に差し押さえられ、没収された)建物だそうで、1945年9月から、連合軍の宿舎として使われていました。
そして、法律施行の下、953年8月12日に、日本遺族会への無償貸与し、名前を九段会館に変更され、その後、1957年に宿泊施設・食堂を開業すると、結婚式場、宴会場、ホールも利用できるようになり、広く利用されるようになりました。
ところが、2011年3月11日の大地震で天井が崩落、廃業とし、土地・建物の国への返還を正式決議、正式に廃業とし、土地・建物の国への返還を正式決議しました。
実は、当方、出版社の業務部を任されていたのですが、忘年会で一度利用したことがあります。
料理もおいしく、また宴会の料金も安く、とてもいい忘年会で、1年を終えることができ、ありがたかったです。
関係者の方に、改めてお礼を申し上げたいです。
そして、これ、内緒の話ですが・・・。^±^;
年中おなかが緩かったのでトイレもお借りしてたんですがね。^±^;
それは迷惑な話だなっ!(゚Д゚)ノx±x。
武道館は、昭和29年で「学徒会館」、昭和35年で「学生会館」と言ってたのか。
気象庁は、中央気象台ですね。
「美土代町」の都電の電停は、昭和29年のころは、「区役所前」だったようです。
神保町は会社から近かったので、よく行ってました。^±^
~~~~~~~~~~
とでんものがたり02=明治時代の市電その②=鉄道馬車が都電の発祥・2
馬車鉄道には、東京馬車鉄道と、品川馬車鉄道とありました。
品川馬車鉄道は元々は「無軌道式乗合馬車」として営業しておりました。
1889年(明治22年)5月1日、初めて「東京市」となり、1997年(明治30年)頃に、品川馬車鉄道は初めて鉄道を敷いたのですが。
翌々年の1899年(明治32年)6月19日には、品川馬車鉄道は東京馬車鉄道と合併されました。
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