とでんものがたり・24系統=福神橋~須田町
24系統=福神橋~須田町=昭和47年(1972年)11月12日廃止
注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。
赤色=昭和47年(1972年)11月12日廃止
福神橋=柳島=十間橋=押上駅前=業平橋=吾妻橋二丁目×=【本所吾妻橋】=吾妻橋一丁目×=浅草=雷門=田原町(浅草一丁目)=菊屋橋=清島町(松ケ谷一丁目)=稲荷町(下谷神社前)=上野駅前=上野駅南口=上野公園=広小路(上野広小路)=黒門町(上野一丁目)=末広町(外神田五丁目)=旅籠町(外神田三丁目)=万世橋=須田町
昔の東京の路面電車。^±^ノ
1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など
青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。
押上橋(京成電車前・押上駅前)=中ノ郷(吾妻橋二丁目)=吾妻橋(吾妻橋一丁目)=本所表町=外手町=厩橋=駒形町=(←開通直後は厩橋を迂回か?)=雷門=東仲町=田原町=菊屋橋=清島町=稲荷町=車坂町(上野駅前)=上野ステーション前(上野駅南口)=上野公園前=上野広小路=黒門町=末広町=万世橋=須田町
茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。
柳島=柳島妙見前(十間橋)=京成電車前(押上駅前)=業平橋=吾妻橋二丁目=吾妻橋一丁目=吾妻橋東×=吾妻橋西(浅草)=雷門=田原町=菊屋橋=清島町=稲荷町=上野駅前=上野駅南口=京成電車前(←京成上野駅)×=上野公園前=上野広小路=黒門町=末広町=旅籠町=万世橋=須田町
注釈
1923年(大正2年)12月、開通区間は、押上橋(押上駅前)から須田町。 吾妻橋未開通のため雷門始発か、または厩橋迂回か。
雷門~押上間は、外手町~押上は、23系統の電車あり。
1935年(昭和10年)、開通区間は、柳島から須田町。
都電地図。^±^ノ
都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^
都電地図。^±^ノ
都電目次。^±^ノ
どうでもいい余話。^±^;
23系統ともに、こちらも晩年まで残っていました。
浅草から上野を通り、須田町まで行く都電でした。
こちらも残しておけばよかったですね。
上野から浅草間は、海外旅行者からも人気のあるエリアで、もしも都電が残ってたら素敵だったでしょう。
現に、海外の観光地には、市街電車などがクラシカルに残ってますものねえ。
出来れば復帰してもいいものかな、と思ってますが・・・。
いかがでしょうかね?^±^ノ
とでんものがたり。^±^ノ
写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。
「浅草」の比較です。
1954年(昭和29年)6月10日です。

1960年(昭和35年)2月1日です。

田原町の周辺の町名が変わっておりますね。
文字が細かくて見にくいですが。^±^;
田原町が、1丁目~2丁目だったのが1丁目~3丁目に。北仲町という町名もできています。
それと銀行がだいぶ増えましたね。^±^;
てか、それぞれの違いを調べるのって、「ウォーリーを探せ」ばりの間違い探しみたいな感覚ですが。
浅草雷門始発の電車、気になりますよね。^±^;
「福神橋」。都電の終点ですね。
とても縁起のいい名前だけに、残してほしかった路線の一つですが、こちらからは東京スカイツリーの絶景スポットとしても有名らしいですね。
亀戸の七福神、もしくは香取神社、或いは吾嬬神社への参道にあやかり、つけられたなど諸説ありますが、縁起のいい名前のこの橋を渡って神様に会えるなんてロマンチックじゃありませんか?
その近くの「十間橋」は、北十間川の川幅が十間あるところからつけられたそうです。一間が1間は約1.818 1818メートルだから、十間ということは18メートルちょいですか。
それにしても、名付け方が、単純~。^±^ノ
お前の脳みそほど単純じゃないぞ!(゚Д゚)ノx±x。
~~~~~~~~~~
とでんものがたり20=昭和初期の市電その⑤=戦争中、市電は意外と黄金時代に・2
1937年(昭和12年)7月、中国の盧溝橋(ろこうきょう)から端を発し、日中戦争が勃発します。
ところが市電は、これが思わぬ「黄金時代」をもたらすこととなります。
開戦により、輸入が減少したうえ、軍需優先ということで、一般市場のガソリンが払底(ふってい)することとなりました。
そのために、ライバルである円タクやバスが大きな打撃を受けたからなのです。
注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。
赤色=昭和47年(1972年)11月12日廃止
福神橋=柳島=十間橋=押上駅前=業平橋=吾妻橋二丁目×=【本所吾妻橋】=吾妻橋一丁目×=浅草=雷門=田原町(浅草一丁目)=菊屋橋=清島町(松ケ谷一丁目)=稲荷町(下谷神社前)=上野駅前=上野駅南口=上野公園=広小路(上野広小路)=黒門町(上野一丁目)=末広町(外神田五丁目)=旅籠町(外神田三丁目)=万世橋=須田町
昔の東京の路面電車。^±^ノ
1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など
青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。
押上橋(京成電車前・押上駅前)=中ノ郷(吾妻橋二丁目)=吾妻橋(吾妻橋一丁目)=本所表町=外手町=厩橋=駒形町=(←開通直後は厩橋を迂回か?)=雷門=東仲町=田原町=菊屋橋=清島町=稲荷町=車坂町(上野駅前)=上野ステーション前(上野駅南口)=上野公園前=上野広小路=黒門町=末広町=万世橋=須田町
茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。
柳島=柳島妙見前(十間橋)=京成電車前(押上駅前)=業平橋=吾妻橋二丁目=吾妻橋一丁目=吾妻橋東×=吾妻橋西(浅草)=雷門=田原町=菊屋橋=清島町=稲荷町=上野駅前=上野駅南口=京成電車前(←京成上野駅)×=上野公園前=上野広小路=黒門町=末広町=旅籠町=万世橋=須田町
注釈
1923年(大正2年)12月、開通区間は、押上橋(押上駅前)から須田町。 吾妻橋未開通のため雷門始発か、または厩橋迂回か。
雷門~押上間は、外手町~押上は、23系統の電車あり。
1935年(昭和10年)、開通区間は、柳島から須田町。
都電地図。^±^ノ
都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^
都電地図。^±^ノ
都電目次。^±^ノ
どうでもいい余話。^±^;
23系統ともに、こちらも晩年まで残っていました。
浅草から上野を通り、須田町まで行く都電でした。
こちらも残しておけばよかったですね。
上野から浅草間は、海外旅行者からも人気のあるエリアで、もしも都電が残ってたら素敵だったでしょう。
現に、海外の観光地には、市街電車などがクラシカルに残ってますものねえ。
出来れば復帰してもいいものかな、と思ってますが・・・。
いかがでしょうかね?^±^ノ
とでんものがたり。^±^ノ
写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。
「浅草」の比較です。
1954年(昭和29年)6月10日です。

1960年(昭和35年)2月1日です。

田原町の周辺の町名が変わっておりますね。
文字が細かくて見にくいですが。^±^;
田原町が、1丁目~2丁目だったのが1丁目~3丁目に。北仲町という町名もできています。
それと銀行がだいぶ増えましたね。^±^;
てか、それぞれの違いを調べるのって、「ウォーリーを探せ」ばりの間違い探しみたいな感覚ですが。
浅草雷門始発の電車、気になりますよね。^±^;
「福神橋」。都電の終点ですね。
とても縁起のいい名前だけに、残してほしかった路線の一つですが、こちらからは東京スカイツリーの絶景スポットとしても有名らしいですね。
亀戸の七福神、もしくは香取神社、或いは吾嬬神社への参道にあやかり、つけられたなど諸説ありますが、縁起のいい名前のこの橋を渡って神様に会えるなんてロマンチックじゃありませんか?
その近くの「十間橋」は、北十間川の川幅が十間あるところからつけられたそうです。一間が1間は約1.818 1818メートルだから、十間ということは18メートルちょいですか。
それにしても、名付け方が、単純~。^±^ノ
お前の脳みそほど単純じゃないぞ!(゚Д゚)ノx±x。
~~~~~~~~~~
とでんものがたり20=昭和初期の市電その⑤=戦争中、市電は意外と黄金時代に・2
1937年(昭和12年)7月、中国の盧溝橋(ろこうきょう)から端を発し、日中戦争が勃発します。
ところが市電は、これが思わぬ「黄金時代」をもたらすこととなります。
開戦により、輸入が減少したうえ、軍需優先ということで、一般市場のガソリンが払底(ふってい)することとなりました。
そのために、ライバルである円タクやバスが大きな打撃を受けたからなのです。
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